【2026/7/2】今朝、作業スペースへと歩いて行った時の考え事。ちなみに朝ごはんは「椎茸炊き込みご飯・味噌汁・ホイコーロー」でした。あとマルチビタミンにマルチミネラル。


この間森でしゃべった「作家になりたいのか経営者になりたいのか」だけど、株式会社COMMAのポッドキャストで「経営者・10億以上が基準となるビジネスの世界にピンとこない」という社長の話を聞いてみた。その上で、やっぱり僕はビジネスパーソン・事業家としての成功にそれほど魅力を感じることができない。いや、そういった成功も含まれる類の成功は魅力的なのだが、あくまで成功を構成する一つの要素に過ぎないのだ事業規模とか売上高は。組織に属するのもそんなに好きじゃないし。


つまりたとえば、ポッドキャスター・研究者のような「クリエイター / 思想家」のようなアイデンティティで軽やかにいきたい。時々事業にも関与するよ、あるいは関与の仕方として立ち上げるよ、というくらいで。仰々しいが「作家 / 研究者」のような感じ。


よく内省して考えをまとめて表現…みたいなことがアーティストに求められている印象があるんだけど、この内省プロセスは「一人で考える」だけじゃなく「おしゃべりを通して考える」でもいい気がする。


claude codeで「今書いているscribeの内容と完全同期しながら表示してくれるページ」を作った。作ってみて気づいたこととしては「これリアルタイムでの更新内容は下にしたに更新されていくから、初見でやってきた人には分かりにくいか?」ということ。どーしたもんか。これがSNS的な見せ方をするならば区切って、区切った順に新しくポストされるでいいのだが、これはそういうものではない。まぁ一旦今のままでいいか。


ボックスで区切ってこの中にscribeの更新内容を格納し、これを動かす形でもいいかもね。ということでclaudeに追加回収させている。実際に書かれているときにはああかいポイントが点滅する。


あーーーーー完全に集中力が切れているぅーーーーー


ドラマや映画の話をするときに、俳優さんの名前で喋るのではなく役柄の名前で話してほしいと思っているのだが、マイノリティな気がする。


ヘンリーデイビットソロー「森の生活」の中に書いてある(らしい)文章が、稲本正「ソローと漱石の森」に書いてあったのだがこれがとても共感できるものだった。稲本正氏じゃなくソローの書いたものということになるんだけど。「私が森へ行ったのは、思慮深く生き、人生の本質的な事実のみに直面し、人生が教えてくれるものを自分が選び取れるかどうか確かめてみたかったからであり、死ぬときになって、自分が生きてはいなかったことを発見するような羽目に陥りたくなかったからである。人生とは言えないような人生は生きたくなかった。生きるということはそんなにも大切なのだから。また、よほどのことがない限り、あきらめるのも嫌だった。」いいねぇ。わかるねーーー。特に「死ぬと気になって、自分が生きてはいなかったことを発見するような羽目に陥りたくない」という感覚。子供の頃からうっすらと、そして大人になってからは明確にある。


そもそもビジネスと商いも明確に異なる概念であり、僕にビジネスというニュアンスの正確なところはアメリカの人ほど体得できない気がしている。


デプロイするところまでやってみた。おおー速やかに反映されるね。





手前(自分のこと)の命をかけられたら一人前 仲間の命もかけられたら立派な頭
という謎のラディカルな言葉が浮かんだ