#28 加速するテクノロジーと減りまくるクジラたち。捕鯨競争の加熱と終焉〜クジラという森・その7【ミモリラジオ】

捕鯨技術の革新で年間3万5千頭ペースに!資本主義がクジラを絶滅寸前まで追い込んだ激動の歴史を解説します。

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要約

ノルウェーとイギリスが南極捕鯨で競争を繰り広げ、技術革新によりクジラ捕獲が大幅に加速。日本も戦前に南極捕鯨に参戦するが、わずか7年で終了。シロナガスクジラから他の種へとターゲットを拡大し、1930年代にはクジラ絶滅説が登場。ジュネーブ条約で国際ルールが制定されるも、資本主義の論理でクジラ産業保護が優先された歴史を解説。

キーワード

南極捕鯨 ノルウェー式捕鯨 シロナガスクジラ ジュネーブ条約 資本主義 捕鯨技術

文字起こし

ミモリラジオ。このポッドキャストは、自然界の中から一つのテーマをピックアップして、その面白さを深ぶるトーク番組です。 パーソナリティを務めます、ミモリのアンディです。 ミモリの野田和樹です。 クジラという森編第7回でございます。 だいぶ大長編になってしまったね。 ね、一番長いに思われるね。 そうだね、ダントツで長い。 で、前回までは、クジラを資源と見ていた18世紀19世紀の動き、 そして、加熱を極める捕鯨の動きが、とうとう最後のフロンティアとして、南極の海、南氷海にまでやってきます。 続きでございます。 そのモチベーションがね、クジラの油に革命が起きたっていうことで、 マーガリンとダイナマイト。 火薬ですね。 しかも、そのノルウェー捕鯨の銃ですね。捕鯨銃の爆薬の原料。 それもクジラの油か。 クジラの油から取って、クジラを取るっていう。 溜まったものじゃないね、クジラからしたら。 すごいひどい話ですよ。 そういう感じで、食料にも油にも、そして爆弾にもなる、火薬にもなる、クジラの油をめぐる熾烈な戦いが南極の海を襲います。 じゃあそこから話していきたいと思います。 南氷洋捕鯨の今回主役となる国、ノルウェーとイギリスですね。 北氷洋の時と、北氷洋の時はイギリスとオランダだったんだけど、今回はイギリスとノルウェーですね。 ノルウェーは1890年代からこの南極捕鯨の可能性を探り始めてたんですよ。 1904年にカール・ラルセンという人がアルゼンチンで出資を募って、アルゼンチンに会社を作ります。 南米で南極は比較的近い場所だね。 南極捕鯨に備えてね。 彼がこのサウスジョージア島っていう南極の島に捕鯨基地を作って、そこで史上初の南氷洋捕鯨がスタートします。 始まってしまいましたね。 始まってしまいました。 1年で198頭。 多くはないよね。 そうだね。 これまでの捕鯨の規模からすると少ないかな。 何万とか獲るからね。 ただこれ獲ってた鯨が白流す鯨なんですよ。 それは多いですね。 北極の鯨よりも効率よく減油が取れることの証明になったんですよね。 鯨の中で一番でかい種類で30メートルを超える最大種類。 油が効率的に取れるんだろうね。 だし泳ぐスピードが速かったけれども、ノルウェー式の捕鯨だと老仏のついた森を火薬で飛ばして取ることができるようになったっていう、そういう鯨だったよね。 技術革新もあって、その結果南平洋にいろんな捕鯨船がやってきて、1908年南平洋捕鯨開始から4年後ですね、 この南半球捕鯨の減油産出量が北半球を上回ります。 早くない? めっちゃ早い。 たった4年で世界一の捕鯨場になるんですよ。 しかも南極というか南半球で捕鯨を積極的にやっている場所が大体南平洋。 それほとんど南平洋だけで北半球全部上回ってしまったんだ。 でも1909年ここからイギリスが参加してきます。 イギリスがフォークランド諸島っていうアルゼンチンのすぐ近くの島なんだけど、これを持っているということで南平洋捕鯨に許可制を導入して、 ここはイギリスの領地、領海なので規制したりとか資源保護政策とか打ち出したりするんでね。 アルゼンチンの近くの島でね。 それに対抗してノルウェーはイギリスの近くでは捕らないようにして捕鯨船を南平洋に走らせてやってきます。 この時に競争が激しいのでもちろん技術革新も起きて、 従来鯨の脂っていうのは皮下脂肪から取ってたのね。 それが骨肉内臓からも芸用採取することができるように。 無駄なく使えるようにだんだんなってきてます。脂に関してはね。 日本の使い方とはまた違う角度から鯨の全体を使うようになってきた。 日本はちゃんと肉も使ってるからね。 工芸在古にしたり食べたり。 っていう感じでどんどんどんどん船も大型化して数も増えてきます。 シロナガスクジラを獲るような船だもんね。それは大きいよね。 めっちゃでかい。僕がねすげえ衝撃的だったのが、 クジラの資源を食い尽くすスピードが半端なくて、 1930年の1年間でノルウェーとイギリスが捕獲したクジラの数3万5千頭です。 えっ?なんかさっき100… 198頭から始まったんだけど、 それが? 3万5千頭。 なるほど。 そのうちシロナガスクジラが2万8千頭。だからほぼシロナガスクジラだね。 もうおしまいですね。シロナガスクジラは。 で、アメリカ式捕鯨の時、これ1804年だからちょうど100年前ぐらい、 は平均で1年間にクジラを5千頭。 まあまあそれでもすごい数だけどね。 で、この南平洋に入ってからは3万5千頭獲ってるので、 もうおしまいですね。 年間7倍のクジラを獲っている。 いやーこれが資本主義という、 資本主義が進めたね。 そうだよね。技術革新と経済のなせる技だよね。 でね、イギリスとノルウェーが南平洋捕鯨にメインなんだけど、 日本も実はこの南平洋捕鯨に参戦しております。 ああそうなんですか。 その前にこの日本の伝統的な技術だったものから、 ちょっと技術革新があるので、ちょっと日本のまたクジラの話をしていこうかなと思います。 お願いします。 大セミクジラ流れ事件、嵐の日に行っちゃったやつですね。 日本だと、もともと日本の海の近くまでクジラがやってきてくれていたから、 わざわざ捕りに遠くまで行く必要がなかったんだけれども、 アメリカ式捕鯨でアメリカが太平洋でどんどんクジラを捕っちゃった結果、 日本にやってくるクジラが少なくなっちゃって、 日本でクジラを捕っていた地域がちょっと貧しくなっちゃって、 ある時に海の近くにセミクジラが来ていた時、 無理をして嵐で夜の中、寮に行った結果事故になっちゃって、 沢山人が死んでしまってからは、ちょっと下火になっていた。 それが日本の捕鯨だったよね。 そう、大セミ流れ事件ですね。 ここから日本もクジラの数が減っていったこともあって、 どうにかこうにかしないといけないということで、 2つの方法を取るんだよね。 それが伝統的な技術である、 網取り式捕鯨を他の場所に持っていく方法ですね。 これはね、北海道のテシオ町で網取り式捕鯨をやってみたりとか、 朝鮮でも網取り式捕鯨をやってみたりしてますね。 ただ、これらの試みはすべてあんまりうまくいかずに失敗に終わってますね。 だってね、海外比べたらね、南極で爆発か、 爆弾使って捕ってる、捕鯨銃使って捕ってるのと比べたら、 まあこう、ぬるいというか。 差が全然違うよね。 そうだよね。 で、2つ目の試みた方法が、外国の最新技術を取り入れるということで。 で、この旧来の方式ではなくて、新技術を導入しようとした人がいるんだけど、 これがジョン・マンジローですね。 ああ有名人。 有名人。 でね、ジョン・マンジロー、トサの出身で、 で、無人島に漂流してアメリカの捕鯨船に助けられてるんですよ。 ああそっか、捕鯨船かあれ。 そう。 そっかそっか。 なのでアメリカに多分10年ぐらいいたのかな。 へえ。 なので、アメリカ式捕鯨の前世記を知ってるんだよね。 なるほど。 っていうので、この日本の明治政府かな、 アメリカ式捕鯨の提案をしていきます。 ただもうこの頃は、ノルウェー式捕鯨が開発されてるかつ、 太平洋の鯨をだいたい捕ってるので。 そうだね。 でまあ、うまくいかないんだよね。 今更旧式のアメリカ式捕鯨を太平洋でやってもっていう感じだね。 そう。で、ジョン・マンジローではなくて、 1889年にオカ・ジューローという人が、 ノルウェー式捕鯨を日本に導入します。 この人は自らノルウェーに行って捕鯨船見たりとか、 ああすごいね。 捕鯨の道具を作る場所を製造所を見て、 視察して学んできてるっていう人ですね。 この人が山口県の資本家と組んで、 日本沿用漁業会社っていうのを設立。 これね、国としても本気の授業で、 福沢諭吉とか、当時の水産省とか農水省とか。 ああもう政府肝入りのプロジェクトなんだ。 肝入りのプロジェクトですね。 で、技術的にはノルウェー式でやっていく。 一応最先端の。 最先端の。 でね、捕鯨法を扱う技術者はノルウェー人を雇ってますね。 おおすごいね。本気だね。 本気。 で、ただこの岡十郎の方針が、 ヨーロッパは牛油だけを使うために鯨を捨てるんだよね、肉とかを。 すべてを絞り取って、カスは海に捨ててしまうってことだよね。 ただ岡十郎の方針で、技術はノルウェー式なんだけど、 日本人はずっと鯨肉を利用してきたということで、 処理とか流通などは日本式でやってて、 取る部分だけノルウェー式でいこうと。 そう。心の大いさは日本のままに捕鯨していきましょうっていうのが、 この日本の現代捕鯨の始まりですね。 なるほど。 ただ僕がすごい思ったのは、 この時冷凍技術の開発とか、缶詰の技術があるので可能だっただけで、 遠くの海に行く大航海、捕鯨も冷凍技術とかがあれば、 肉を捨てずに済んだのかなと思ったりしてますね。 確かに。昔の日本の捕鯨館がヨーロッパと違って、 余すとこなく食べていたりしてたのって、 それこそ食べれる場所に鯨が来てたからできていたことってことだよね。 本当にそうだと思う。 沿岸まで鯨がわざわざ来ていたからできてたってことだよね。 そう。というのが日本の捕鯨の特徴なんだけど、地形がそういう風に決定しているっていう。 確かに確かに。 今回の現代捕鯨では、缶詰技術とか冷凍技術のおかげで、 食べる鯨を遠くに取りに行けるようになったからこそ、できたことなんじゃないかっていう。 っていう風に分析はいろんな本でされてました。 なるほどね。面白い。 ただこの明治のノルウェー式捕鯨は資本主義的構造をすごい含んでいるので、 例えば地元密着の捕鯨だったのが、日本のいろんな国内の漁業場に入ってやっているのね、会社が。 これで地元民対立だったりとか。 あと朝鮮でこの時鯨を捕鯨してたんだけど、朝鮮の海域に対して不平等な条約を結んだりとか、 そういう時代背景もあると思うけど、資本主義と帝国主義の悪い部分が出ちゃってるよね、みたいな感じですね。 確かに。わざわざ取りに行くようになった結果をきている側面ではあるよね。 この岡次郎の会社がどんどん大きくなっていくんだけど、日露戦争で勝ち取ったロシアの捕鯨船をもらったりとかしたりして、どんどん大きくなっていきます。 1909年に大きないろんな会社が合併して東洋捕鯨株式会社というのが設立されますね。 これが後の日本水産になっていきます。 もともと捕鯨からスタートしたんだね。 捕鯨からスタートします。この時代の鯨に対する認識。 それは日本の? 岡次郎の認識だね。 その時は鯨は餌さえあればどんだけ捕っても枯渇しない無限の資源だということを本気で言ってた。 もうヨーロッパの人たちはあまり変わらないね。 この頃から遠くに鯨を大量に取りに行くという、西洋の捕鯨のスタイルになっているよね。 鯨の回遊ルートで網を仕掛けて待っているというのは、鯨の絶滅のさせようがないから。 そういう考え方で捕鯨を始めていきますね。 近くにやってくる生物から枯渇するリスクのない資源という捕鯨に変わっちゃってるんだね。 だから日本式で流通させよう、お肉とかも使っていこうとは言いつつも、考え方としては完全にヨーロッパ型になってるね。 この後に日本は南平洋捕鯨に乗り出していきます。 とうとう最後のフロンティアに参戦するんですね。 日本南平洋捕鯨の時期が1933年から1940年までの7年間。 短いね。短い戦前の極限られた時期。 ちなみに第二次世界大戦、太平洋戦争が始まると捕鯨船、軍艦として使われているので、捕鯨として。 だから捕鯨が物理的にできないという感じになるよね。 ここで日本の捕鯨に対するイメージが良くなかったのが、1930年代は南平洋捕鯨に世界として規制がかかろうとしてた時期なんだよね。 ああそうなんだ。さすがに取り過ぎだと。 あとでその理由を話すんだけど、そこの規制がかかろうとしてた時期に参入する形だったんだよね。 なるほどね。 なので各国の批判がすげえありましたね。 この時期の南平洋捕鯨、日本においてね。これはすげえ得意な捕鯨になっていて、南平洋に行くのはすげえ金がかかるんですよ。 日本からだもんね、遠いよね。 そう、日本から。だとか、戦争中っていうこともあって、日本軍とか政府が積極的に協力してるんですよ。 でも国策の産業として捕鯨を南平洋でやってます。 捕鯨の会社がスマトラゴムっていう軍事物資のゴムを確保するための国策企業がやってたりとか。 あと日本水産も捕鯨に出てたんだけど、この時の最大の株主はね、満州侵略の経済的柱だった満鉄ですね。 だから捕鯨であげた利益が全部帝国主義に流れ込んでいくっていう。 国策会社って感じだね、ずっと。 国策会社ですね。この時の最大の目的、日本で初めてですね、牛油生産。 へえ、とうとう。 日本の捕鯨が食用クジラ肉を目的から外したのは、これが最初で最後ですね、歴史上。 そうなんだ、そうなんだ。へえ。 ここだけ。ヨーロッパで外貨を稼ぐ目的もあって、そのクジラの油っていうのは大量に輸出されていきます。 なるほどね。 こんな感じで日本は南氷用捕鯨をやるんだけど、ここから捕鯨に対して規制がかかってきますね。 これはね、今から話すことは、今僕たちがクジラに対する認識、保護しないといけないとか問題になっているみたいな、っていうのに直結する話になってきます。 ちょっとその部分を話していきたいと思います。 お願いします。 現代捕鯨を少し振り返ると、1876年で開発された捕鯨銃から始まるんだよね。 ずっと捕鯨っていうのは拡大の歴史なんですよ。北極から北極全部取り尽くした。 大西洋、次取り尽くした。 取り尽くした。 大平洋取り尽くした。 そうだね。 この銃の開発によって、クジラの種類が拡大していきます。 そっかそっか。早くて泳げるクジラも取れるようになったっていう、そういうお話だったよね。 そう。かつ油を取れる効率が良い大型のクジラから狙われるようになってきますね。 ああ、そっか。効率が良い。 なのでね、シロナガスクジラが最初狙われて、あれいなくなったぞみたいな。 次ナガスクジラが狙われて、あれいなくなったぞみたいな。 次ザトウクジラ、イワシクジラみたいな感じで、効率の良い順に捕獲対象が広がっていくっていう。 なので、この南平洋捕鯨は、場所も地理的に拡大するのと、クジラの種類が拡大するっていう二重の拡大。 資源の枯渇、エリア自体の拡大がこれ以上できなくなったから、枯渇していった資源を見限って次の資源に切り替えていくっていう、そういう動きだね。 そういう動きですね。 なるほど。 っていうのがありますね。 この時代に初めて、クジラの絶滅論とかが出てきますね。 1910年に国際動物会議で、クジラが絶滅するんじゃないかっていう風に言われてたりとか。 1930年、国際連盟がベルリンで捕鯨の規制に関する会議を開いたんですよ。 その翌年に、ジュネーブでジュネーブ会議っていうのが開かれるんだけど、ここでできた捕鯨のガイドラインがあって、 セミクジラは捕ってはいけませんとか、子持ちの母クジラは捕ってはいけませんとか、っていう風なことが決められていくんだよね。 この時期に日本は南平洋捕鯨に参戦しています。 それでバッシング受けると。 バッシング。この頃から始まってるね。日本の捕鯨に対する。 風あたりの強さ。 風あたりがね。 この時はノルウェーとイギリスもブイブイ捕ってたので、日本と3カ国、主に3カ国がこのジュネーブ会議で出てきた条約を先延ばしにするんですよ。 認めないぞっていうことで。これで条約の決定が1936年に決定されます。 ただね、この頃のこの条約、全く意味ないですね。 罰則とかないよね。 ない。マジで機能してなくて。唯一規制が成功した例があるんですよ。 これが国家機関、国連とかそういう国際連盟とかじゃなくて、捕鯨会社の間で結ばれた協定だったんですよ。 この時にもう取りすぎって、鯨の油を。市場で余っちゃうんですよ。 そういう現象が起きるの?逆に? ちょっと違うでしょ。1870年からどんどん取りに行って、1930年に市場最高に取るんですよ。360万バレルぐらい。 もうちょっとよくわかんない。てか石油だね。ほんと単位が一緒だね。 石油でしょ。具体的には価格が取れすぎて大暴落するんだけど、1930年価格が1トンあたり大体25ポンド。 31年21ポンド。32年11ポンド。取りすぎるっていうのが問題になるんですよ。市場価格を安定させるためにイギリスとノルウェーの捕鯨会社が規制をかけるんですよね。 1個が領域を設定します。 取るシーズンを決めると。 シーズンともう1個投数制度って言って、何頭取っていいかっていう基準を決めます。この投数制度っていうのがまたすごくて、これが全ての鯨を白流すの油の量に換算する考え方ですね。 なるほどね。本当に鉱物資源みたいな扱いだね。鯨に対しては。 湯橋鯨6頭で白流す鯨1頭分。こういう考え方が導入されますね。そしたら結果として減るんですよ。鯨を取る量が。産業の価格を維持するため。資本主義の成功のためにやったことが、鯨の保護に結果的に成功しますね。 ちょっと皮肉な話だね。 そうですね。360万バレル取ってたやつが240万バレル。3分の2になりますね。 それでもすごい量だけどね。 っていうので鯨保護ではなく、鯨産業の保護っていうための目的の制度が結果として保護につながります。 初期の鯨保護につながったと。 っていう感じですね。この後、第二次世界大戦以降の捕鯨の話を少しして、日本がなぜ今こういう立ち位置なのかっていう話をしていきます。 いや本当にこう、難しいね。経済と政治の話だね。鯨の歴史は。 この頃やっと生き物になってるぐらいじゃないかな。 そうだ認識がね。ちょっと前の話すごかったもんね。 もう無生物ですから。 無生物っていうのがすごく面白い。 っていう感じですね。 はい。じゃあちょっと次回に続きます。ありがとうございます。