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捕鯨技術
捕鯨技術は、クジラの油の利用用途が広がる中で18世紀から19世紀を通じて大きな進化を遂げた。特に、クジラ油がマーガリンや火薬の原料として重要視される中で、ノルウェーやイギリスなどが主導する形で南極の海域にもその手が及ぶようになった。この過程でノルウェー式の捕鯨技術が進化を遂げ、特にシロナガスクジラを効率的に捕ることが可能になった。技術の進化は急速で、捕鯨活動は一時的に南半球で世界最大規模となり、クジラ資源を根本的に変化させる要因となった。一方で、日本も外国の捕鯨技術を取り入れるなどして変革を図ったが、資源の枯渇という問題に直面した。
ミモリラジオでの扱い
エピソード#28では、特にノルウェーの捕鯨技術の変遷について詳しく語られた。ノルウェーは、19世紀末から南極での捕鯨の可能性を探り、1904年にカール・ラルセンがアルゼンチンでの企業設立を通じて南氷洋捕鯨を開始した。彼らは森に火薬を使った銃、つまりノルウェー式捕鯨を導入し、従来の手法よりも大きなクジラ、特にシロナガスクジラから効率的に油を取ることに成功した。この技術革新により、1908年には南半球の捕鯨の油産出量が北半球を上回り、急速に市場を席巻する結果となった。ノルウェーとイギリスの競争の中で、捕鯨技術はさらなる進化を遂げ、クジラからの油の採取方法も従来の皮下脂肪から骨肉内部へと広がった。
一方で、日本においてもこの時代、伝統的な網取り式捕鯨の限界が指摘され、技術革新が模索された。外部技術の導入を図った日本ではジョン・マンジローがアメリカ式捕鯨を提案するなど、他国の技術を取り入れる試みもなされた。しかしながら、この時点で既にノルウェー式が主流となり、太平洋の多くのクジラ資源が枯渇していたため、日本の伝統技術の活用は困難を極めた。結果として、新たな捕鯨技術は一部成功するも、千々に乱れるクジラ資源への影響を直接改善することはできなかった。