・夢遊東京のエピソードで「やらせていただいている、ってどうなん?」みたいなお便りがあった。 ・僕の場合はというと、基本的にポッドキャストの制作におけるディレクターや編集や出演をオファーいただき、それを持って生活できているところが大きいので「やらせていただいている」という感覚は強い。というか今の状況でそれを忘れたら相当ヤバいと思う ・やらせて頂かせる身分になるには、やっていない状況であった自分に対するオファーが必要で。そこでオファーを出してくれたクライアントに対してはもちろん、その状況の僕が作った作品を聞いてくれているリスナーに対しても、やはりやらせていただいている意識は抜けない ・クリエイターとして今作品を作り、今聴いてもらい、今生きている自分の活動と生活を支えてもらえているわけだということを考えると、やらせていただいている意識が抜ける気はしないねぇ
・ただし!今書いたクライアントやリスナーの皆さんが「やらせていただいている」という僕の言葉遣いに対して「そんなに小さく卑屈にならずに、バシっとしてくれよ!!!」と思う瞬間が、幸運なことにこれからの活動が発展していったとしたら生まれる気もしている。 ・その段階に至っては「やらせていただいている」という看板を、よりピカピカな「やっている」という看板に塗り直すといいんだと思う。それくらいのリフォームはむしろ喜ばれる気がする。 ・とはいえ「やってやっている」という風になり出したら相当まずい。やっているという看板を掲げて堂々とすることも、要は「やらせていだたく」ことを続けたり発展させていくための動きなわけで—というダブルスタンダードというか演技演出というか。そういうのを、長年活動しているクリエイターはみんな頑張っているんだと思う。